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2016  20:51:21

元ネットワークエンジニアの坂本龍馬尽力の薩長同盟締結から150年目の節目に京都国立博物館で開催されている「没後150年 坂本龍馬」展に行ってきますたw

京都検定対策「坂本龍馬編」kyoto-kokuritsu-museum01.jpg

今年(2016年)で坂本龍馬が仲介に当たった薩長同盟締結(1866年)から150年の節目を迎える事になり、今年は龍馬がアツイ(笑)かもしれません(ぇ。

京都検定的にかなりオイシイ話題だと思われ(ニヤw)

京都・観光文化検定(通称京都検定)

この一件で倒幕の流れを作り上げた坂本龍馬は、その後、長州側の勝海舟に働き掛けて江戸城無血開城を実現することに成功しています。

坂本龍馬が行った数々の功績は今も色褪せることなく輝き続ける


来年(2017年)は、徳川15代将軍慶喜公が二条城二の丸御殿にて大政奉還を行ってから150年の節目を迎えることとなり、その実現は坂本龍馬抜きにしては考えられません。

また、慶喜公が大政奉還を行った同年(1867年)に、龍馬は近江屋中岡慎太郎と共に京都見廻組の襲撃を受け、志し半ばにしてその一生を終えています。

激動の時代を華麗に生き抜き、近代日本の礎を築いた人物として、これからも未来永劫語り継がれていくことでしょう。

つまり、来年(2017年)は坂本龍馬没後150年の節目の年でもあるわけです。

そのため、今年から来年に掛けて龍馬関連のイベントが各地で取り行われる事と思います。

このような流れを受け、恐らく今年の京都検定では龍馬に関する話題が出題されると見ています。

稀代の英雄ということで、その名声と功績は広く知れ渡っており、恐らくその名を知らない方はおられないことと存じます。
だからこそ、より深く龍馬について理解しておく必要があるかもしれません。

少なくとも今年と来年は龍馬に関する話題には耳を傾けておくべきでしょう。

恐らく命日である11月15日には、龍馬が祀られている京都霊山(りょうぜん)護国神社の参拝者数がピークを迎える事になるでしょう。
わたしも、その折には是非お参りしたいと考えております。

また隣接する幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」にも立ち寄りたいと考えております。

この機会に是非坂本龍馬についての知見を深めたいと考えております。

また、2016年10月31日現在、京都国立博物館にて「没後150年 坂本龍馬」展が催されており、龍馬ゆかりの品が数多く展示されていることから大変勉強になることと存じます。

この機に是非坂本龍馬ゆかりの品々を見に行きましょうw
sakamoto-ryomaten01.jpg
龍馬は数多くの手紙を書いており、様々な内容の文面を見ることができます

普段の龍馬からは窺い知れないような意外な一面なんかも垣間見ることができるカモネ(ニヤw

今回のアイキャッチ画像がその京都国立博物館になります。
生憎の悪天候でしたが、西洋風の見事な建物ですね。
まさに幕末の混乱を見ているかのような様相を呈していますね(ヲィwwwww)

こちらは明治古都館と呼ばれ、かつて旧帝国京都博物館とされていたものです。

龍馬展を開催しているのは、平成知新館と呼ばれる別の建物になります。
こちらは谷口吉生氏の設計となり、2013年8月に竣工しております。

京都国立博物館

開催日程は、2016年10月15日(土)~11月27日(日)までとなっておりますので、ご興味のある方は是非龍馬ワールドをご堪能あれw

ぢつはわたしはこの坂本龍馬展に先日行ってきたばかりだったりします(ニヤw)。

その模様は後ほどサクッっと述べたいと思いますw。

京都国立博物館と方広寺に纏わる悲しき逸話


京都国立博物館は明治30年(1897)に開館し、その設計者は赤坂離宮等を手掛けた事でも有名な片山東熊(とうくま)です。

イギリス人建築家ジョサイア・コンドルに学んだ建築家として知られています。

尚、京都国立博物館は、安土桃山時代に豊臣秀吉東山七条の地に設けた方広寺の跡地に建っています。

方広寺は、度重なる火災で焼失し、今では梵鐘のある方広寺大仏殿跡を残すのみで、その名残である方広寺境内を区切っていた石塁と石塔が当時の様子を辛うじて留めています。

方広寺に唯一残る梵鐘と鐘突き堂となります
houkouji_bonshou01.jpg
かつては広大な敷地を誇った方広寺の姿と思うと何とも切ない思いに駆られますね><

その様子を見るとまさに「兵が夢の跡」といった感じで世の無常を感じさせますね><。

そこには、豊臣家滅亡の切欠となった大阪冬の陣が勃発する「国家安康」の文言の書かれた梵鐘が当時の姿のまま残されています^^;。

文字通り、徳川家康の家と康を分断していることで、その怒りを買ったと言われています><。
家康にとっては、自らの首を刎ねられるような思いに囚われたことでしょう><。

また、梵鐘には「君臣豊楽」の文言も書かれており、その文言が豊臣家の繁栄を意味するものとして、目の敵にされてしまったという言いがかりに近いような逸話があります><。

そう、まるで徳川家を滅ぼして豊臣家が栄えるかのように受け取られたわけですね><。

確かに、家康にとっては豊臣家を滅ぼす絶好の口実になり、政治的に利用するにはもってこいだったとは思いますけどね^^;。
ほんと、油断も隙もあったものじゃありませんね^^;。

少しでも隙を見せれば、そこを付け込まれるというわけですね^^;。
なんて恐ろしい時代なんだ(ダマレカスwwwww)。

もっとも、実物は一見して見分けの付かないほど小さな文字で書かれていて、よくこんな虫眼鏡レベル(笑)の粗を見つけたものだと揶揄したくなりますけどね(ヲィwwwww)。

梵鐘の文言を可能な限り拡大して見ましたが、それでもまだなんて書いてあるかよくわからないよね^^;
houkouji_bonshou02.jpg
よくぞこんな小さな文字を槍玉に挙げて攻撃材料としたものね(ぇ

一応画像真ん中辺りに書かれているのが問題となった「国家安康」で、すぐその左斜め上に書かれているのが「君臣豊楽」の文言になります^^;。

何気にわたしは最初この梵鐘を見た時、それらの文言がどこに書かれているのかわからなかった罠(ガーソorz)。
その書かれている場所を聞いて、しかもよく目を凝らして初めて確認できたほどですからね^^;。

マジであんなに小さく書かれているとは思わなんだ^^;。

幻と消えた京都大仏、方広寺大仏殿は秀吉そして子の秀頼の悲願だった!?


かつて方広寺は、あの奈良の東大寺を凌ぐと言われるほどの大寺院だったそうです。
それもそのはずで、京都国立博物館のあの広大な敷地が全て方広寺の境内だったわけですからねw。

また、秀吉は大仏殿を設け、京都大仏なる巨大な大仏の建立を実現するも、慶長伏見地震で倒壊し、秀吉亡き後、子の秀頼がその思いを引き継ぐも不運な火災に見舞われ、秀吉が造り上げた大仏殿はその姿を完全に消失することになります><。

秀吉にとって京都大仏の建立は悲願であり、子の秀頼にとってもその実現は切実でした><。

その後、大仏殿が再建され、大仏に金箔を施すところまでは順調に進んだものの、先に述べた梵鐘事件により、家康によって大仏の開眼供養の延期を命ぜられ、結局その後日の目を見ないまま大仏のみが残されることとなります><。

しかしその大仏も寛政10年(1798)の落雷によって焼失し、ついに再建されることのないまま現在に至ります><。

もし、方広寺が焼けず、大仏殿に京都大仏があったのなら、それは東大寺の大仏を遥かに凌ぐものとなっていた可能性があります><。

そのように考えると、是非京都大仏をその目で拝んでみたかったですね^^;。

今では幻の大仏となってしまっただけに、様々な思いに駆られますね^^;。

豊臣家に纏わる悲しいお話ではありますが、京都検定対策として是非覚えておきましょうw。

また、方広寺大仏殿跡の正面に当たる大和大路通から千本通まで正面通(しょうめんどおり)と呼んでいます。

方広寺の正面にある町は、正面町(しょうめんちょう)と呼ばれています。

併せて抑えておきましょうw。

尚、方広寺の境内の一部は現在、豊国(とよくに)神社が建っており、その名の通り祭神は「豊臣秀吉」となっています。

通称「ホウコクさん」とも呼ばれています。

伏見城の遺構と伝えられる唐門国宝に指定されており、見事な佇まいを見せています。

威風堂々とした見事な建物ですね
houkokujinjya_karamon01.jpg
左右の唐破風と漆を塗り彫刻や飾り金具を施した姿が豪華絢爛で煌びやかですねw

坂本龍馬没後150年の節目に幕末を駆け抜けた稀代の英雄に思いを馳せる


先に述べた通り、2016年10月29日現在、京都国立博物館内平成知新館にて特別展覧会「没後150年 坂本龍馬展」が好評開催中となっております。

館内に置かれていたパンフと龍馬展の入場券ですw
sakamoto-ryomaten02.jpg
パンフの裏側には龍馬展の概要が簡単に書かれていますw

尚、龍馬展は同館1階と2階で開催されています。

また、会場の入口では音声ガイドの貸し出しが一台550円で行われており、歌舞伎俳優の尾上松也氏のナレーションによる解説を聞くことが出来ます。

鑑賞の際に、より理解を深めたい方は如何でしょうか。

実際に鑑賞する際は、3階にて展示されている龍馬展とは異なる作品群から鑑賞する運びになっているようです。
但し、あくまでオードブルなので、特に興味を惹かれなければ軽く目を通すくらいでもいいかもねw。

てっきり龍馬展が行われているフロアから鑑賞するのかと思いきや、他作品が展示されているフロアからのスタートとなり、わたしにとっては他作品も拝むことができて俺得だった罠(ダマレクズwwwww)。

具体的には、龍馬展と併せて陶器や仏像などの展示がなされており、何気にそちらの観覧も有意義だったりします(ニヤw)。

例えば、江戸時代前期に活躍した仁和寺の門前の御室に窯を開いたことで知られる陶工の野々村仁清(にんせい)の茶碗などが見られるかもネw。

あまり言っちゃうと観に行く楽しみがなくなるので、これくらいで(えーw)。

ってか、やっぱり今回のメイソは龍馬展でしょ(ニヤw)。

もっとも、こちらも詳しく語っちゃうとネタバレ(笑)になっちゃうので、軽くエッセンス(笑)みたいのをてけと~に叫ぶくらいに留めておきますね(えーw)。

簡単に言っちゃうと、坂本龍馬の生まれ育った時代から、幕末の混乱を収めた龍馬の功績を振り返り、明治維新への激動の舵を切る期間を章立てにして順に観て行くことになりますw。

パンフの裏側ですw、龍馬展の内容が簡単に纏められています
sakamoto-ryomaten03.jpg
鑑賞前にサクっと見てからじっくりと見て回るのもいいかもネw

参考までに各章立ては以下の通りとなっています。
予め内容を把握しておけば、効率的に鑑賞できるカモネ(ニヤw)。

第一章 龍馬の生まれ育った時代
第二章 土佐脱藩と海軍修行
第三章 龍馬の手紙を読む
第四章 龍馬の遺品
第五章 薩長同盟から大政奉還―そして龍馬の死―
第六章 瓦版・錦絵からみた幕末維新
第七章 美術工芸からみた幕末維新─近世絵画・刀・甲冑─

各章ごとに龍馬が如何にしてその類稀なる才能を発揮したのかが事細かに語られていきますw。

その中でも特筆すべきなのが、坂本龍馬が書き記した手紙の数々で、その数なんと確認されているものだけで140通以上に及ぶと言われています。

それらの手紙一つ一つが丁寧に書かれており、その文面を読み解くと、龍馬の面倒見の良さや誠実さを見て取ることが出来ます。

自身の家族の身を案じたり、同志のことを慮ったり、政敵と上手く迎合したりなど、変幻自在に相手によって取り入る様が見事です。

そのことから、人心を操ることに長けた方だったことが伺えます。

また、その手紙を書いた状況から、当時の龍馬が如何に多忙を極めていたかを見て取ることができますw。
時には立ったまま書いたと思われる手紙も見て取ることができます。
あまりの忙しさで座る時間も惜しかったのかもしれませんね^^;。

尚、そんな多忙の合間を縫って龍馬は姉である乙女と頻繁にやりとりを行っており、その仲の良さが伺えます。
中には乙女姉さんの愚痴に延々と答えるなんて場面もあります(ニヤニヤw)。

それ以外にも龍馬の手紙には様々なものがあり、是非色々なパターンに触れてみて頂ければと思いますw。
なかなかに剽軽(ひょうきん)な一面を持った方であることがわかると思いますw。
ユーモラスな文面が見て取れると思います(ぇ。

手紙以外では、妻のおりょうとの新婚旅行の行程を事細かに残しているなど、几帳面な所が見れたりしますw。

それ以外には、龍馬を取り巻く幕末の混乱を如実に示す事件となった「禁門の変(蛤御門の変)」を描いた絵巻があり、幕末の混沌とした様相が見て取れます。

尚、禁門の変に伴う京都で発生した火災を「どんどん焼け」と呼んでいます。
この「どんどん」は大砲が「ドンドン」と撃たれる音から来ているそうです^^;。

更に、龍馬が近江屋でその命を落とすことになった際に、刺客の刃を鞘ごと受けた刀と言われている「刀 銘吉行」や、愛用していた脇差、斬り付けられた際に飛び散ったと思われる生々しい血痕の残る掛軸が展示されていたりと、なかなかに興味深いものがありますw。

この他にもまだまだ見所があり、幕末の混沌とした状況で龍馬が如何に倒幕へと舵を切っていったかを章を追って順に理解できるようになっていますw。

是非、この機会に坂本龍馬ワールドに思いを馳せてみませんか。
そして、幕末の世を華麗に駆け抜けた稀代の英雄の功績を改めて振り返ってみましょう(ぉ。

これで京都検定対策はバッチリだね(ダマレゴミwwwww)。

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